相棒探し [旅の相棒 鉄馬SRX]
旅の相棒SRX号、ヤマハ SRX400、を不動車にしてしまい、新たな相棒としてどんなバイクを迎え入れるか、悩ましくも楽しい日々が続いています。
SRX号はその細身の美しいボディを見初めてしまい、これまで一緒に走ってきました。
そのSRXの細身のタンクを見慣れてしまうと、どうしても最近の横置き直4エンジンと、その上を覆う幅広のタンクが、巨大に見えてしまいます。
となると、エンジンはシングルか、横置きVツインに限られてしまいそうで、やっぱりSRXかなあと思うときもあります。
もう快適にツーリングができる季節は過ぎてしまったものの、たまの晴れ間を見ると、鉄馬に跨り緑の中に駆け出したくて、うずうずしてしまうので、そろそろ新しい相棒を決めてしまいたいところです。
SRX号はその細身の美しいボディを見初めてしまい、これまで一緒に走ってきました。
そのSRXの細身のタンクを見慣れてしまうと、どうしても最近の横置き直4エンジンと、その上を覆う幅広のタンクが、巨大に見えてしまいます。
となると、エンジンはシングルか、横置きVツインに限られてしまいそうで、やっぱりSRXかなあと思うときもあります。
栃木の大越路峠越え
もう快適にツーリングができる季節は過ぎてしまったものの、たまの晴れ間を見ると、鉄馬に跨り緑の中に駆け出したくて、うずうずしてしまうので、そろそろ新しい相棒を決めてしまいたいところです。
新たな二輪生活に向けて [旅の相棒 鉄馬SRX]
転倒をきっかけにエンジンが焼き付いてしまった、わが愛馬SRX号、ヤマハ SRX400。
もう部品が供給されていないことから不動車となり、別れを余儀なくされてしまいました。
これまでウジウジとSRX号との想い出に浸り、なかなか先に進むことができないでいましたが、ようやく心の傷も癒え、SRX号の想い出とともに、新たな二輪ライフへ踏み出そうという気になってきました。
新たな二輪生活を楽しむに当たり、新たな相棒を手に入れなければなりません。
ここで悩むのは、以下の二つの選択肢のうち、どちらにすべきか、というところです。
2.新しいSRX号を相棒とする
3.別の鉄馬を相棒とする
SRXはその美しい車体に惚れ込んで相棒としていたので、また相棒として選ぶとしても、不足は無いと考えています。
一方で、この際だから別の車種に乗ってみては、という友人の助言もその通りだと思います。
実のところ、教習車としてのったCB400を除くと、SRX号以外に乗ったことが無いんです。
ですので、ここで一度SRXから離れてみるというのもアリかなと思いだしています。
そうすることで、SRXの良さを再確認することになるかもしれないし、実は他の車種の方が合っていたりすることもあるかもしれませんし。
というわけで、最近は、別の車種への乗り換えを前提に、今後どうしていこうか考えているところです。
もう部品が供給されていないことから不動車となり、別れを余儀なくされてしまいました。
これまでウジウジとSRX号との想い出に浸り、なかなか先に進むことができないでいましたが、ようやく心の傷も癒え、SRX号の想い出とともに、新たな二輪ライフへ踏み出そうという気になってきました。
新たな二輪生活を楽しむに当たり、新たな相棒を手に入れなければなりません。
ここで悩むのは、以下の二つの選択肢のうち、どちらにすべきか、というところです。
2.新しいSRX号を相棒とする
3.別の鉄馬を相棒とする
SRXはその美しい車体に惚れ込んで相棒としていたので、また相棒として選ぶとしても、不足は無いと考えています。
桜並木に佇むSRX号
一方で、この際だから別の車種に乗ってみては、という友人の助言もその通りだと思います。
実のところ、教習車としてのったCB400を除くと、SRX号以外に乗ったことが無いんです。
ですので、ここで一度SRXから離れてみるというのもアリかなと思いだしています。
そうすることで、SRXの良さを再確認することになるかもしれないし、実は他の車種の方が合っていたりすることもあるかもしれませんし。
というわけで、最近は、別の車種への乗り換えを前提に、今後どうしていこうか考えているところです。
何が私と走ってきたSRX号なのか [旅の相棒 鉄馬SRX]
わが愛馬SRX号、ヤマハ SRX400、は転倒をきっかけにエンジンが焼き付いてしまい、また部品がもう供給されていないことから、不動車となってしまいました。これからの二輪生活をどうしていこうか、ぼんやりと考える日が続いています。
前回、取り得る手立てとして三つを挙げていましたが、もう一つあることを忘れていました。
1.中古のエンジンを見つけてもらって乗せ換えてもらう
1.5. 中古のSRX号を見つけて、エンジンを現SRX号に乗せ換えてもらう
2.現SRX号とはお別れして、中古のSRX号を見つけて、乗り換える
3.SRXを諦め、別の鉄馬に乗り換える
1.と2.のハイブリッドの1.5.という手段があるのを忘れていました。
ただし、前回述べたように、1.の目は殆ど無いとのことなので、実質、取り得る選択肢は、以下の三つに絞られます。
1.5. 中古のSRX号を見つけて、エンジンを現SRX号に乗せ換えてもらう
2.現SRX号とはお別れして、中古のSRX号を見つけて、乗り換える
3.SRXを諦め、別の鉄馬に乗り換える
ただ、1.5.の場合、中古のSRX号を見つける必要があるわけで、それならそのまま、2.として、新しく手に入れた中古のSRX号に乗ればいいんじゃないかと思うのですが、そこに素直に納得できない自分が居たりするのです。
やはり、これまで苦楽を共にしてきた現SRX号に再び乗りたいと思ってしまうのです。
ここでふと思うのは、何がわが愛馬SRX号を「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」たらしめているのでしょうかね。
エンジンでしょうか。
それだと、わが愛馬SRX号は、一度、エンジン(の一部であるシリンダーとピストン)を乗せ換えています。では、既に「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」ではなくなってしまっているのでしょうか。
そうではない気がします。
だからこそ、1.5.というエンジン乗せ換えをしてでも現SRX号に乗りたいと思っているのですし。
では、ハンドルやシートなど、直に触れる部分?
それも違いますよね、きっと。シートは貼り替えてしまっていますし。
修理してどこまで変えたら、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」ではなくなってしまうのでしょうかね。
エンジン乗せ換えて、タイヤも換えて、マフラーも換えて、タンクも換えて、それでも、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」と言ってもいいんですかね。
そうすると、残るのはフレームくらいですかね?
そこまでフレームに思い入れがあるかなあ。
そう考えていくと、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」に拘る必要はないのかな、と思うようになってきました。
これまで一緒に歩んできた思い出が、現SRX号を「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」たらしめているのではないかと思えるようになってきました。
だとしたら、新しいSRX号に乗ることになったとしても、それは「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」を失くしてしまうものではなく、それは心の中に居続けてくれて、「これから(苦)楽を共にすることになる新SRX号」と共存できるものなのではないか、そう思えるようになってきました。
と感傷に浸ってみたものの、きっと一度に全部変えてしまうとことが、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」ではなくしてしまうことなんでしょうね。
少しずつ変えていくなら、他の部品たちの集合体が、まだ「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」であって、そうして思い出を重ねていくにつれて新しい部品も「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」の一部になり、そうして古参の「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」だった部品が新しい部品に変わったとしても、前回変えた部品が既に「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」になっている、そういうことなんでしょうね。
新陳代謝を繰り返して、細胞が入れ替わっても、私は私、ということなのだなと。
なんだかスッキリしてしまいました。
前回、取り得る手立てとして三つを挙げていましたが、もう一つあることを忘れていました。
1.中古のエンジンを見つけてもらって乗せ換えてもらう
1.5. 中古のSRX号を見つけて、エンジンを現SRX号に乗せ換えてもらう
2.現SRX号とはお別れして、中古のSRX号を見つけて、乗り換える
3.SRXを諦め、別の鉄馬に乗り換える
1.と2.のハイブリッドの1.5.という手段があるのを忘れていました。
ただし、前回述べたように、1.の目は殆ど無いとのことなので、実質、取り得る選択肢は、以下の三つに絞られます。
1.5. 中古のSRX号を見つけて、エンジンを現SRX号に乗せ換えてもらう
2.現SRX号とはお別れして、中古のSRX号を見つけて、乗り換える
3.SRXを諦め、別の鉄馬に乗り換える
ただ、1.5.の場合、中古のSRX号を見つける必要があるわけで、それならそのまま、2.として、新しく手に入れた中古のSRX号に乗ればいいんじゃないかと思うのですが、そこに素直に納得できない自分が居たりするのです。
やはり、これまで苦楽を共にしてきた現SRX号に再び乗りたいと思ってしまうのです。
友人とツーリングに行った時の一コマ
ここでふと思うのは、何がわが愛馬SRX号を「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」たらしめているのでしょうかね。
エンジンでしょうか。
それだと、わが愛馬SRX号は、一度、エンジン(の一部であるシリンダーとピストン)を乗せ換えています。では、既に「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」ではなくなってしまっているのでしょうか。
そうではない気がします。
だからこそ、1.5.というエンジン乗せ換えをしてでも現SRX号に乗りたいと思っているのですし。
では、ハンドルやシートなど、直に触れる部分?
それも違いますよね、きっと。シートは貼り替えてしまっていますし。
修理してどこまで変えたら、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」ではなくなってしまうのでしょうかね。
エンジン乗せ換えて、タイヤも換えて、マフラーも換えて、タンクも換えて、それでも、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」と言ってもいいんですかね。
そうすると、残るのはフレームくらいですかね?
そこまでフレームに思い入れがあるかなあ。
そう考えていくと、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」に拘る必要はないのかな、と思うようになってきました。
これまで一緒に歩んできた思い出が、現SRX号を「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」たらしめているのではないかと思えるようになってきました。
だとしたら、新しいSRX号に乗ることになったとしても、それは「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」を失くしてしまうものではなく、それは心の中に居続けてくれて、「これから(苦)楽を共にすることになる新SRX号」と共存できるものなのではないか、そう思えるようになってきました。
と感傷に浸ってみたものの、きっと一度に全部変えてしまうとことが、「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」ではなくしてしまうことなんでしょうね。
少しずつ変えていくなら、他の部品たちの集合体が、まだ「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」であって、そうして思い出を重ねていくにつれて新しい部品も「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」の一部になり、そうして古参の「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」だった部品が新しい部品に変わったとしても、前回変えた部品が既に「これまで苦楽を共にしてきた現SRX号」になっている、そういうことなんでしょうね。
新陳代謝を繰り返して、細胞が入れ替わっても、私は私、ということなのだなと。
なんだかスッキリしてしまいました。