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関ヶ原・飛鳥 歴史探訪 ~三方ヶ原・長篠~ [旅の足跡]

 わが家のワーゲンバス、レイトバス号で出かけた、関ヶ原・飛鳥 歴史探訪の旅。
 今回は、その旅の前半部分、三方ヶ原、長篠、の旅の様子を紹介します。

 GW後半戦の初日である5月3日は、東名高速道路の大渋滞が予想されたことから、前日の5月2日に出発し、渋滞が予想される厚木よりも西へ進んでおくことにしました。ところが、考えることはみな同じ。出発してしばらくした首都高速から渋滞発生。中央環状線が首都高速3号線に合流するところから大渋滞です。その先の東名も厚木まで渋滞、とのことだったので、合流の渋滞をなんとかやり過ごした後は、東名とは反対方向に向かい、湾岸線で逗子の方に抜けて、厚木まで下道を走ったのでした。

 結局、渋滞情報によれば、渋滞はその後も成長を続け秦野中井まで延びてきたので、こちらも秦野中井まで下道を走行することにして、秦野中井で東名に復帰。時間的にはどっこいどっこいな感じだったのでしょうけど、走行風による冷却に頼る空冷エンジンのワーゲンバスにとっては渋滞は禁忌なので、走行していた方がまだマシだったんんじゃないかと思ったりします。

 これで何とか、GW渋滞予想箇所を通過したので、足柄SAで仮眠。この足柄SAには温泉もあって、これまでも何度か利用していたのですが、今回は出発が遅かったことから、家でシャワーを浴びてからの出発としていたので、温泉には浸からず、速攻で仮眠モードに入りました。

 ひと眠りして疲れを取ったあとは、足柄SAを後にして、再び西を目指します。

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バスと富士山、いい天気

 足柄SAから先の東名は、昨日の渋滞が嘘のような快適な流れで、順調に距離を伸ばせました。

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海に近い、由比PA

 大きな渋滞に捕まることなく、東名を西に進んでいたのですが、浜松IC付近から再び渋滞発生。この後も、西に向かうにつれて、名古屋圏の渋滞に突っ込むような感じだったので、浜松西ICで高速を降りることにしました。
 なんでも、武田信玄と徳川家康が戦い、徳川家康が敗れたという、三方ヶ原の戦いは、この辺りで行なわれたそう。というわけで、今回の旅の第一の史跡として、三方ヶ原の戦場跡を訪れることにしました。

 早速、戦場跡をスマホで調べてみるものの、どうもこれだ、という施設はない模様。どうやら、この三方ヶ原の戦い、正確な戦場跡というのははっきりしていないようで、だいたいこの辺で行なわれました、というのがわかっている程度のようなのです。
 そんななか、古戦場を示す石碑があるらしいとの情報を見つけたので、そこを目指すことにしました。ところが、その石碑の場所がなかなか見つけられず、三方原周辺を迷走することになってしまいましたが、なんとか三方原霊園の一角に、その石碑を見つけることができ、ようやく歴史探訪の旅の第一歩を踏み出すことが出来たのでした。

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三方原霊園駐車場脇にひっそりと佇む三方ヶ原古戦場の石碑

 このあとは、R257を北上して、長篠の戦いで有名な長篠城跡に立ち寄りました。

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お祭りに向けて準備中の長篠城跡

 長篠城跡には長篠城史跡保存館という資料館があり、その中を見学し長篠の戦いについて学びます。そう、長篠の戦いといえば、織田信長の鉄砲隊が有名な戦いでしたね。
 長篠城跡を見学した後は、R151を西に向かい、豊川ICで再び東名高速に乗って、関ヶ原へと向かいました。東名から名神へと乗り継ぎ、大垣ICで高速を降りて、この日は道の駅池田温泉で夜を明かすことにしたのでした。

三方ヶ原、長篠ルート



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